Assalamualaikum
- Assalamualaikum
- 私を取り囲む救いのカテゴリ
- 救われる準備について
- ニディガの断片
- 渡すためにあるもの
- おわりに
5/17の黒船祭に終日滞在してからというものの、致死量の太陽光と輝きを浴びてずっと情緒の洪水に飲み込まれています😭
でも、飲み込まれたのは湧水かもしれませんよ~❔←insane 😁
特定のキャラクターと交流した際に救われて😭になったので、過去に根付いた病理の分析・解毒・解呪みたいなことをしていきたい(twitter見れば何に救われたか一目瞭然ですが😍)
体系的に整理するのが今は無理そうなので、時系列とか思いとかそういうの断片的に書いていきます 意味不明だと思うがご容赦を
私を取り囲む救いのカテゴリ
1つ目、私の世間と合ったとはお世辞にも言えない下品な感性で面白いと思ったものが好きだ。特に面白かったネタツイは同じ人が同じネタを擦っているのを見るとそれですら笑えてきてすごい楽しい。
2つ目、脳天を意地でもブチ上げよう、という意志を感じる暴力のような音楽が好きだ。ゴリゴリの音圧やexplicitな歌詞、それぞれがアタシのバイブスを上げていく。上がったボルテージに任せて変に高まって時間を溶かしている。
3つ目、デカいマスコットだ。しかし子供の頃は認知されに行くのが畏れ多かったし、近づく勇気すらなかった。それは今も解消していないのかもしれない。
例えばポケモンの着ぐるみを生で見たとき、何度も遠くから回って眺めているだけでいいと思ってた。自分はクソデブ兄貴でカスみたいな顔面してるし、直接顔を合わせる価値なんてないと思ってた(記憶が正しければ)
資格がないならないなりに、音楽と面白さを推進力として楽しめるだけ楽しむ、ということが生きることだったんじゃないか。
3つ目を受け入れようと2019年から本格的に自分の気持ちと向き合うようにした。五輪のマスコットの追っかけだ。ある程度の効果を発揮したが、弊地方から離れたことや武漢のウイルスの影響により薄れていった。
余談だが、2014年に初めてポケセンに行きたいと言って足を踏み入れたことが意志の出し方のきっかけになったんかなあ😵💫 それから元気になりたいときは物体がいなくてもポケセンに寄ったりしてた
デカマスコットのイベントをハシゴするようになって、幸福度の最適化ゲームをするようになった。これが正しいかは今もわからないが、高まりを未遭遇キャラの数や遠征orハシゴ難易度で代替してドーパミン中毒になろうとした。これは今も有効だと思ってるし、ふとしたきっかけでデカマスコットに脳を焼かれる、といったこともできてよかったと思う。
救われる準備について
五条悟のセリフに『でも、俺だけ強くても駄目らしいよ 俺が救えるのは他人に救われる準備がある奴だけだ』というものがある。(呪術廻戦 78話らしい)
救われる準備がないとそれを認識できないし、救いに対して手を伸ばすこともできない。
要するに昔から内心マスコットが好きだったのに、自分には資格がないだったり恥ずかしいだったりでそこにある機会を拒んで、自分で自分を救わない道を選び続けていた。
ポケモンの等身大ぬいぐるみが対症療法なり得たか❔とたまに思うがそうもいかないと今では思う。物体には物体の意志が伝わる、そうでないものにはない❔ような気がする
何が足りないかずっとわかっていない。だからカメラを持ってたくさんの場所を巡った。猫に執着し始めたころに欠けてしまった何かは何なのか❔大量のデカマスコットに会いまくることが手がかりになると信じているし、実際自分の好きなキャラクターの特徴を理解しようとするには役立ったのかもしれない。基本はデカ猫にとても惹かれるみたい😌
いい感じにワンショットを撮り、よければツーショを撮れたら最高と思う時期が続いてたが、最近出た答えは近距離での交流(物でなんか遊んでるとか、若干の会話をするとか?)なのかもしれない。加害性を発露しなければならないのはつらいが、俗に言う場数や言い方みたいなのがあるんだろう。自分の剝き出しの病原を前に吐き気を催したくなる カスの価値観を持ち合わせた分際でそれをしようにも伝達に難儀があるだろう
救われる準備が少しはできてきたのかもしれないが、救われるべきは他の人間だという気持ちは勿論ある。だって優先されるべきは飢えている子供たちだから
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